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現地の人と話をすると、地名のアクセントをよく指摘される [写真ブログ 日本]

姫路城へ行ってきました
姫路城へ行ってきました posted by (C)まこと
 西大寺を10時12分に出発し、大阪環状線で大阪駅へ行き、JR神戸線の新快速に乗り12時過ぎに姫路駅に着きました。昼食を姫路城へ行く途中にある松屋で取りました。

 修理中のこれまでの公開状況が分かりませんが、人があまりいませんでした。
姫路城菱の門
姫路城菱の門 posted by (C)まこと

姫路城 屋根修理現場
姫路城 屋根修理現場 posted by (C)まこと
 菱の門~二の丸~上山里曲輪~太鼓櫓等を過ぎ、本丸備前丸まで登りました。途中には工事のための構台や足場があり、大天守修理の規模の大きさを実感できます。
 見学施設「天空の白鷺」ではまずエレベーターを待つウエイティングゾーンで修理の内容や歴史を見ます。その後、エレベーターで8階にある屋根修理の見学スペースへ上がります。ここでは屋根の構造と共に、普段・他所でも見る機会のない城郭建築の屋根をガラス越しに見ることができます。

姫路城 壁面修理現場
姫路城 壁面修理現場 posted by (C)まこと
 一つ下の階、7階からは壁面修理の様子を見ることができ、漆喰壁び工程を再現した展示もあります。

姫路城西の丸
姫路城西の丸 posted by (C)まこと
 上層階のため、城全体を見渡すこともできます。

姫路城小天守
姫路城小天守 posted by (C)まこと
 小天守群は覆屋にかかっていないため、「白鷺城」の色を見ることができました。

姫路城天守内部 3層目
姫路城天守内部 3層目 posted by (C)まこと
 大天守3層目です。この時、私以外は警備の方しかいませんでした。

姫路城 天守群を見上げる
姫路城 天守群を見上げる posted by (C)まこと
 4年後の2015年に覆屋が外され、大小の天守閣が並んで見られる日が楽しみです。
 なお、明日26日からの一般公開では見学に事前予約が必要です。
http://www.himejijo-syuri.jp/reservation/beginner.html

 姫路城等の写真はこちらで。
フォト蔵:http://photozou.jp/photo/top/317369
 醍醐寺や法界寺、浜名湖周辺の神社、室生の写真もあります。

 最後の写真を撮った直後に目に異物が飛び込んでしまいました。涙で出ないか試したのですがだめでした。通りがかりの方が立ち止まって悶絶している私に、「以前、私も経験したのよ。眼科へ行ったら除去してくれるし、感染症等の予防措置もしてくれる」と教えてくれました。姫路城周辺を一周する計画を止め、早めに奈良へ帰りました。2時間後には西大寺の眼科へ。診察してもらうと、比較的軟らか異物(虫の羽のようなもの)が上瞼にありました。目自体に傷が付いていたため、抗生物質入り目薬を処方してもらいました。目は皮膚以上に膿みやすいので、しばらくこの目薬が欠かせません。

 以前ブログで書いた金魚たちですが、「春休みの間よろしくお願いします」という置手紙と共にありました。そのため、先週には飼い主が引き揚げていきました。どこのだれの金魚だったのか分かりません。約1ヶ月間世話をしたため、突然の別れでした。一緒に世話をしていた友人も「寂しい」と言っていました。

今回のタイトル


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村=博物館(=日本最大規模?) 自然地形を活かした展示  [写真ブログ 日本]

 以前書いて、放置しっぱなしだった、大鹿村や「中央構造線博物館」について書きたいと思います。

中央構造線 北川露頭
中央構造線 北川露頭 posted by (C)もんせ
 上の写真は、国道152号線分杭峠を南に下った途中右手にある「北川露頭」です。
 写真のほぼ中央、土の色が変わっている部分が中央構造線です。写真向って右の黒っぽい部分が三波川変成帯(外帯)、左の茶色い部分が領家変成帯(内帯)です。

北川露頭南方
北川露頭南方 posted by (C)もんせ
 北川露頭の南方面は写真のようになっています。谷あいを中央構造線と川(鹿塩川)が通っています。

 北川露頭から車で20分、国道152号線沿いに中央構造線博物館があります。
中央構造線博物館
中央構造線博物館 posted by (C)もんせ
HP:http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
 行った時は閉館時間を僅かに過ぎてしまっていたのですが、他の見学者がいらしたこともあり、見学することができました。
 この博物館は、久々に感動を与えてくれた博物館でした。
 まず、博物館の外にある岩石標本。「主要なもの」、「有名なもの」だけではなく、中央構造線に関わる岩石175種類が集められていました。しかも、村内から調達したそうです。
 学芸員の河本さん(中央構造線研究の第一人者)の解説もすばらしいものでした。中央構造線とはどのようなものなのか、どのような形成過程を経て今の姿となってきたのかなど、学術的なことを一般の人にも分かりやすく解説してくださいました。学芸員という職種の素晴らしさを改めて認識しました。

 この博物館のHPも素晴らしいものです。おそらく、日本の地学系博物館で最も充実した情報量ではないでしょうか。一度見ていただければ分かります。

 中央構造線博物館を後にし、浜松市方面へ国道152号線を20分程行くと、左手に安康露頭への入り口があります。
 河へ下りる小道を下り、小川を越えると、青木川を挟んだ対岸面に露頭がありました。
中央構造線 安康露頭
中央構造線 安康露頭 posted by (C)もんせ
 北川露頭を含めた詳しいことは中央構造線博物館のHP内「館内展示・野外観察地」「中央構造線ってなに?」を見ていただければ幸いです。

石英(?)集合石
石英(?)集合石 posted by (C)もんせ
断面の綺麗な石
断面の綺麗な石 posted by (C)もんせ
 安康露頭のある青木川の川岸には写真のように面白い石がありました。
 上は石英(ケイ素)が挟まれて岩石化したものだそうです(地理学科の先生談)。

 またいつか大鹿村へ行ってみたいです。そして、中央構造線に関する観察地点を歩いて巡ってみたいです。
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写真が多いと、閲覧しにくい方はいらっしゃいますか? [写真ブログ 日本]

 「南信州 美術と山と地学の旅」2日目です。1日目はひとつ前の記事にあります。

 朝は9時に旅館を出発。
 昨日は暗くて外の景色がよく見えませんでしたが、旅館の部屋からはこのような風景が広がっていました。
旅館からの風景
旅館からの風景 posted by (C)もんせ

 中央自動車道と飯田線に挟まれた道を北上し、駒ケ岳へ。
 その途中、右手に中央アルプスの山々が山頂に雪を被っている風景が続いていました。
中央アルプス 赤梛岳~念丈岳くらい(3)
中央アルプス 赤梛岳~念丈岳くらい(3) posted by (C)もんせ

 10時半に駒ケ岳の麓、菅の台バスセンターの駐車場に車を置き、バスでしらび平のロープウェイ乗り場へ。片道約30分の道のりです。途中、駒ヶ根の雄大な自然を目の当たりにすることができました。
駒ケ岳バスの車窓
駒ケ岳バスの車窓 posted by (C)もんせ

 ロープウェイは片道約7分30秒ほどです。標高が高くなるにつれ、雪の量が増えていきました。麓の天候情報によると、その日の朝は「気温マイナス4.4度、積雪4.8m」との表示が・・・。
ロープウェイ千畳敷駅
ロープウェイ千畳敷駅 posted by (C)もんせ
 
 実は駒ケ岳千畳敷に行くのは今回が2回目です。前回は10年くらい前の夏に行っています。
 しかし、今回は雪山です。千畳敷駅から外に出ると、一面の銀世界で、目が痛くなりました。それでも、写真を撮りまくりました。
千畳敷(2)
千畳敷(2) posted by (C)もんせ雪に埋もれた社
雪に埋もれた社 posted by (C)もんせ
 初めて見ました、雪で埋もれた神社を・・・。

 駒ヶ根市方面の展望台(?)に行くと、絶景が広がっていました。そして、何と今日は南アルプスの向うに富士山が見えました!
千畳敷からの風景
千畳敷からの風景 posted by (C)もんせ
 拡大写真はこちらから↓。
http://photozou.jp/photo/show/317369/37618212
 
 高山らしい現象も起こりました。持っていた薄荷飴の個別包装袋が膨らみました。
膨らんだ飴の袋
膨らんだ飴の袋 posted by (C)もんせ

 山を下り、バスで麓の駐車場に向かい途中、バスが止まり、アナウンスが。「左手の崖にカモシカがいます」。バスの乗客が一斉に窓の外を見ました。
 いました、野生のカモシカ。一斉にシャッターを切る音。カモシカは逃げようともせず、その場にしばらくいました。
カモシカ
カモシカ posted by (C)もんせ

 駐車場に着き、駒ヶ池からの風景を見てから昼食。「オズ」というペンションでパスタやピザを食べました。山小屋風の建物で、イタリアンという感じはありませんでしたが、パスタやピザの味はこれまで食べたそれの中ではダントツの味でした。

 その後、光前寺と駒ヶ根高原美術館を見学。
 光前寺は平安時代860年創建の寺院です。行った時はちょうど開基1150年祭・御開帳の春期間中でした。7年に一度の本尊不動明王の御開帳でした。
 この寺院、なんと本堂の造り(外見)は善光寺と似ていました。本堂前には回向柱もあり、本尊の右手と綱で繋がっているもの善光寺と同じです。何か関係があるのでしょうか?それに「7年に一度の御開帳」も・・・。
 
 駒ヶ根高原美術館を見学した後、帰路につきました。
 
 帰りは国道152号線を南下するルートを走り続けました。この国道152号線は何と浜松まで続いており、浜松では高林バイパスや竜飛街道とも呼ばれる浜松市役所の前を通るバス道にもなっています。

 途中、パワースポットとして注目されている分杭峠や中構造線の真上を通ります。特に大鹿村にある中央構造線博物館や露頭は必見でした。この話はまた後日。お楽しみに~。

 その他の写真はフォト蔵の私のページの一つ「日本写真館~奈良発まほろばnet写真別館⑤~」をご覧ください。
http://photozou.jp/photo/list/317369/1351706
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浜松から長野へは一般道の方が早い!? 飯田は面白い所だった [写真ブログ 日本]

 5月2,3日で行った「南信州 美術と山と地学の旅」について紹介します。

道の駅信州新野千石平 南方面
道の駅信州新野千石平 南方面 posted by (C)もんせ
 朝の出発は8時くらいに浜松を出発。高速道路の渋滞を回避するために、国道257・151号線を通り11時半に長野県飯田市のJR飯田線飯田駅に着きました。
 国道151号線沿いには桜がまだ咲いていました。また、新緑の山々も見ることができました。

 飯田市のホテル内にあるフレンチレストランで食事をし、第一の目的地川本喜八郎人形美術館に到着。NHKの人形劇で用いられた三国志や平家物語の人形を見ました。それぞれが趣の異なる作風になっており、新たな美術館の面白みを見つけました。
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/

 川本喜八郎人形美術館を後にし、飯田城跡に建つ飯田市美術博物館へ。行った時は特別展「信州飯田領主 堀侯‐日本を動かした郷土の外様大名‐」を見学しました。戦国期や江戸時代に飯田を治めた領主に関する様々な史料や美術作品が展示されていました。
 館内に刊行物見本が置いてあり、その中の一つ『飯田城ガイドブック』を開くと、千田先生の名前が・・・。開く前からなんとなく予想はしていました。
http://www.iida-museum.org/

 飯田市美術博物館に隣接する柳田國男館、日夏耿之介記念館へ。
 柳田國男館は実際に柳田國男が東京都世田谷区で書屋として使われていた家屋を移築したものです。日本民俗学がこの家から出たのかと思うと、感慨深いものがありました。
http://www.iida-museum.org/link/yanagida.html
飯田市 柳田國男館
飯田市 柳田國男館 posted by (C)もんせ

 日夏耿之介記念館は詩人・文学者・翻訳家として活躍した日夏耿之介の邸宅を復元したものです。伝統的な日本家屋となっており、私好みの造りでした。
http://www.iida-museum.org/link/hinatsu.html

 1日目の最後に元善光寺へ行きました。
 元善光寺は推古天皇10年(620年)の創建と言われ、蘇我氏と物部氏による崇仏論争で難波の堀江に捨てられた仏像を本田善光が拾い、この地で祀ったのが始まりとされています。この時は坐光寺と言われていましたが、長野市にある現在の善光寺に本尊が移ったため、元善光寺と呼ばれるようになりました。日本でも有数の飛鳥時代から続く歴史ある寺院の一つです。
元善光寺 本堂
元善光寺 本堂 posted by (C)もんせ
 本堂は長野善光寺と同じ造りになっていました。ただ、大きさはこちらの方が小さいです。本堂前には回向柱が立っていました。これも善光寺と同じです。
 ただ、本堂内陣の造りは長野善光寺と異なっていました。元善光寺は内陣中央に本尊がありますが、長野善光寺は内々陣の西側にあり、中央には「守屋柱」と呼ばれる柱があります。一説によると、これは物部守屋や物部氏と関係があるとか・・・。詳しくは宮本健次『善光寺の謎‐今明かされる「怨霊封じ」の真実‐』(祥伝社黄金文庫)や同『聖徳太子 七の暗号 「太子七か寺」はなぜ造られたのか』(光文社新書)を参照してください。

元善光寺 看板
元善光寺 看板 posted by (C)もんせ
 元善光寺境内には上の写真のような看板がありました。「つれあい」・・・。このような看板を初めて見ました。他にも「歩行・走行・寝転んでの喫煙禁止」というのもありました。「立ち止まって」というのがないのが不思議でした。

 元善光寺を後にし、今回の宿へ。天竜川沿いに建つ旅館ホテルで、部屋から天竜川や飯田の街・中央アルプスを見ることができました。
 
 2日目については、また明日。
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一貫性をもった旅 今回のテーマは「輪中:その歴史と水害」 [写真ブログ 日本]

 昨日、大学院の先輩から電話がありました。「輪中に行こう」とのことで二つ返事で、「行きます!」。そのような訳で今日は三重県桑名市長島町へ行ってきました。

 朝は6時に起き、7時15分に自転車で奈良市役所方面へ。市役所前のニコニコレンタカー(モービル)でレンタカー(ダイハツ・ムーブ)を借り(運転は先輩)、出発。

 国道24号線を南下し、名阪国道へ。天理IC、亀山ICを経て東名阪自動車道へ。亀山PAで休憩(9:15)。私の大好きな「ミル挽き珈琲」のキリマンジャロを飲みました。市中にも設置して欲しいです。あわよくば、大学に設置を・・・。
一番好きな自販機コーヒー
一番好きな自販機コーヒー posted by (C)もんせ
鈴鹿山脈
鈴鹿山脈 posted by (C)もんせ

 (9:45)引き続き東名阪を走り、伊勢湾岸道に入り長島ICで降りました(10:18)。ICから北へ向い、今回の目的地の一つ、長島町北部の「輪中の郷」に着きました(10:45)。
輪中の郷
輪中の郷 posted by (C)もんせ
 入館料は大人300円。館内は輪中(長島町)の歴史や文化を中心とした展示が展開されていました。「治水の歴史」は江戸時代に行われた宝暦の治水や伊勢湾台風に関する学習ができました。
 明治・大正・昭和初期の時代に使われた日用品も数多く展示されていました。特に尋常小学校教科書は、今の同学年のものと比べると全く異なる内容でした。天照大神や瓊瓊杵尊という単語がありました。

 水郷の郷を後にし(12:15)、昼食をニューウェルアートピア長島でとりました。

 その後、長良川沿いの土手道を南下し、「長良川河口堰」・「アクアプラザながら」へ(13:10)。
長良川河口堰
長良川河口堰 posted by (C)もんせ
 河口堰とは、海水が川を遡上しないために海水を遮断するための施設です。他の河口堰はどうか分かりませんが、長良川河口堰は施設上を横断でき、堰の稼働(船の通行時)を間近で見ることができます。

 最後に再び北上し、三重・愛知・岐阜3県の県境近くにある「木曽三川公園センター」へ(15:30)。
木曽三川
木曽三川 posted by (C)もんせ
 ここは木曽川(左)、長良川(中)、揖斐川(右)を一望できます。先輩曰く、「面白いね。ここから北では長良川と木曽川が並走していて、南では長良川と揖斐川が並走している」と。自然地理的解明法、人文地理的解決法どちらがいいのでしょうか?

 木曽三川公園センター内には移築された「輪中の農家」があります。
木曽三川公園センターの水屋
木曽三川公園センターの水屋 posted by (C)もんせ
 水害時の移動用の船を屋根に置く「上げ船」も移築再現されていました。
上げ船
上げ船 posted by (C)もんせ
 もちろん、水屋(高い石垣上にある水害時の避難家屋兼倉庫等)もありました。
水屋
水屋 posted by (C)もんせ

 16:30になったので、帰ることにしました。桑名東ICから東名阪に入り、行きと同じルートを通って19:20くらいに奈良に着きました。レンタカーを返し、家に帰りました。

高峰SAからの夕焼け
高峰SAからの夕焼け posted by (C)もんせ
 帰る途中の名阪国道天理の下り坂で綺麗な夕陽を見ました。真ん丸な赤い太陽、綺麗に焼けた空でした。高峰SAで停まり、写真を撮ろうとしましたが、上の写真のように沈んだ後でした。

水位記録板
水位記録板 posted by (C)もんせ
 最後に、伊勢湾台風の時、長島町は写真の水位表示最高位に達しました。その高さ3.9m。一般住宅の2階部分に相当するかと思います。今後もこのような災害が起こらないとは言えないので、常に過去の災害を念頭に置き、心がけを持つようにしたいです。事実、去年の台風18号(10月8日上陸)は、「伊勢湾台風の再来か」と言われれ、当地では厳戒態勢が敷かれたそうでう。
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