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初めての斑鳩歩けオロジー ~太子の想いを探しに~ [研究]

 酒井先生他2名と斑鳩歩けオロジーをしてきました。

 法輪寺をスタートして、現在の地表面に見られる聖徳太子(厩戸王)の斑鳩都市計画跡を見てきました。

 奈良県内は大きな水田改編が行われていないため、古代の条里制の跡がよく残っているそうです。斑鳩地域でも、大きく分けて①斑鳩都市計画(西に20度振れた地軸)、②現法隆寺に沿った地割り、③律令条里制に沿った南北の地割りが存在しています。そのうち、今回は①に関する現地視察をしました。

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 法輪寺すぐ南に法起寺に続く古代の道と推定される痕跡がありました(写真の窪み部分)。先生によると、法輪寺(太子の妃居宮)は背後の丘陵地から来る水による水害から逃れるために、斑鳩の都市計画から少し北にずらした位置に置いたそうです。これにより、都市計画からずれたため、法起寺方面への特別な道を付けたそうです。その痕跡が上の写真です。

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 この写真は法起寺東にある、斑鳩都市計画と南北条里の交差点です。軸にしている方位が異なるため、奇妙な接続になっています。このような個所が斑鳩町内にいくつかあります。

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 法起寺南の中宮寺跡東にある道です。この道は、南北を向いておらず、西に20度振れた方位をとっています。つまり、推定される斑鳩都市計画の痕跡が明瞭に見られる箇所です。

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 先週から話題になっている中宮寺跡です。上は櫓の柱跡で、下は塔礎石です。発掘担当の方が先生のゼミ出身ということあって、平日に間近で見ることができました。現説資料も戴き、発掘成果の説明と今後の発掘予定を拝聴しました。

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 斑鳩都市計画の東端、太子道のスタート地点です。手前の水路が西に20度振れています。この水路の向いた方向の延長線上に飛鳥(古代の首都)があり、太子は愛馬黒駒に乗って通勤していたようです。次回はこの太子道を歩きます。

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 法隆寺では、斑鳩宮の概要、研究成果、今後の課題等を教えていただきました。現法隆寺は谷を埋め立てたところに建てられており、古代の谷底は地下10mの所にあるそうです。なぜ、このような大造成をしてまで、現法隆寺を建てたのか、なぜ整地を必要としない平地にしなかったのかなどの疑問点を提示してくださいました。

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 最後は先生宅で慰労会。写真の握り寿司は私たち学生が作りました。と言っても、シャリをすくって形を整える便利グッツを使いました。他にキムチ鍋も戴きました。先生にビールを注いで頂き、慰労会スタート。先生にとっては久々の自宅での飲み会で、私たちにとっては初めて先生との飲み会でした。私は20倍に薄めたウイスキーも戴きましたが、きつくて、飲むのに1時間強かかりました。一口目(初飲み)は、クラっとする感じがしました。そして、体の中で起きる何とも言えない不可思議現象。もう、しばらくは飲みたくないというものでした。他の2人も基本あまり(全く?)飲まない人なので、お酒は少量でした。あとはお茶かジュースでした。意外と酔わなかったので、よかったです。まっすぐ線の上を歩くこともできました(笑)。
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