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振り返ると、この大学で良かったと思う、私の研究史 [自分史]

 約3年前の大学受験時、私は奈良教育大学、立命館大学、奈良大学を受験しました。
 立命館は3種類の方法で受けましたが、どれも落ちました。奈良教育大学はセンター試験は、基準を満たしていましたが、2次試験の小論文(環境考古学や保存科学に関する小論文)の点数がわずかに足らず落ちました(成績開示請求をしたところ6点不足でした)。

 入学当初、私は漠然と「古代史を学びたい」と思っていました。
 史料学概論、保存科学概論、美術史概論、考古学概論と本来なら3科目でいいところをすべての概論を受けました。
 概論では全分野の基本的な内容を学びました。その中でも、当時白石太一郎先生が担当されていた考古学概論では、古墳の出現から拡大期に見られる地域間の繋がりというのに興味を持ちました。そして、この時代の研究をしたいと思うようになりました。しかし、2年生になった時、白石先生は退職されてしまいました。

 「どうしたもんか」と思っていたときに、酒井龍一先生の研究室前に「研究生募集」というような張り紙がされていました。古代文字や古代文化など海外の考古学的研究の中に「聖徳太子の都市計画の復元」というものがあり、「これだっ!!」と直感し、迷うことなく酒井先生の研究室の門(扉)を叩きました。

 最初の3カ月程は斑鳩や飛鳥地域に見られる、西に20度振った地割に関していろいろ調べていました。しかし、限られた時代の限られた場所しか見ていてはいけないと思い、藤原京や平城京に関しても調べるようになりました。
 藤原京に関して調べる過程で、多くのことを学びました。古代の土木工事の手法、大陸の思想や宗教的な都市要素、地名から古代を推測する方法・・・。現在の私の基礎となるような知識や情報源をこの時に得ました。
 このような研究を1年間続け、3年生になると、「この古代都市研究のどこに入っていこうか」という想いを持つようになりました。この分野の研究に現在専念されている方は決して多くありません。しかし、かなり多くの部分でそれなりの成果が報告されており、改めて着目するような内容が見当たりませんでした。
 
 このような時に堀信行先生に出会いました。と言っても、実は2年生の時に先輩を通じて堀先生とは一度お会いしていますが・・。
 堀先生も地理学者という立場から藤原京に興味を持っており、この分野の研究をしている学生を探しているところでした。当初は私の持っている藤原京に関する情報(主に研究史的な内容)を先生に提供する関係でしたが、ある時、先生が一つの論文を下さいました。それは先生自身が発表した1982「空間組織の原初形態に関する一考察―人・自然・神―」『地域―その文化と自然』(福武書店)です。この中には、人々の営みと信仰、古代の人々が自然に対して抱いていた精神的空間がどのようであったのかについて考察されていました。
 これ以来、私は「藤原京を取り巻く奈良盆地全体の空間」や「古代の人々の精神世界」に関する内容でやっていこうと思うようになりました。

 さらに、何気なく知った同志社大学教授(当時)辰巳和弘先生の『聖なる水の祀りと古代王権 天白磐座遺跡』(白水社)から私の故郷遠江(浜松)の古代文化からも当時(弥生から奈良時代)の人々の信仰や営みを見ていこうと思うようになり、現在に至っています。

 どれも最初は興味本位で手を出したものでしたが、調べているうちに、どれもが藤原京をはじめとする宮都研究に関わるもので、研究史上これまであまり触れられていないものだという事に気づきました。

 ただ、この内容を一言で表し、卒業論文の題目としてどう表現しようかというのが現在悩んでいることです。酒井ゼミの「〇〇の考古学」で表すには、ちょっと無理がありそうです。

 もし、奈良教育大や立命館大学だったらこのような研究をしていなかったと思います。奈教大なら、保存か年代測定、立命なら京都に関する研究でしょうか。奈良だけでなく、自身の故郷の古代史にも関わることができ、本当によい大学生活だと思っています。
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