「残された 痕跡を見て 考古学」「いつまでも 楽しくいたい 考古学」 [写真ブログ 奈良]
日曜日に奈良大学通信教育部文学部文化財歴史学科同窓会による「悠歩の会」に参加しました。去年は太子道を近鉄新ノ口駅から橘寺まで歩き、今年は斑鳩で聖徳太子の都市計画の痕跡を巡りました。講師はもちろん酒井龍一先生です。
スタートはJR法隆寺駅です。今回は35名程が参加し、斑鳩町内を東西、南北に歩き回りました。
悠歩の会で・・・ posted by (C)まこと
斑鳩にて・・・ posted by (C)まこと
まずは、斑鳩東小学校の前を通る道です。これは、綺麗な東西軸線ではなく、北東に軸を持っています。これは、西に20度振れた飛鳥時代の都市計画跡に直交するものだそうです。
斑鳩都市計画の名残・・・ posted by (C)まこと
法隆寺国際高校の東には、西に20度振れたような堀があります。この辺りが斑鳩都市計画の南東端で、太子道の始まりとなる場所です。振り返り、JR大和路線の向う側、安堵町の広峰神社の西にある道が現在でも残っている太子道です。地図上でも見ることができます。
ここから法隆寺を経由して、藤ノ木古墳へ。ここで、昼食になりました。昼食後は斑鳩文化財センターへ。藤ノ木古墳の出土品(レプリカ)を見ました。
法隆寺正面 posted by (C)まこと
法隆寺周辺は、西に20度振れた道だけでなく、7度振れた道もあります。前者は飛鳥時代初期のもので、後者は法隆寺が再建された5世紀後半のものです。斑鳩町内には、この他に町南部に条里制による南北の土地区画もあります。
奈良盆地で、このような複数の土地区画・利用の痕跡が見られるのは、ここだけではないでしょうか。明日香では、ほとんどが地下に埋もれてしまい、地上にその痕跡がほとんどありません。
法起寺の塔 posted by (C)まこと
法隆寺から歩いて、法輪寺と法起寺へ。
法輪寺から法起寺へ続く道は、現在では少し北に触れていますが、かつては両寺の南端を通っており、参詣・交通用のだったそうです。
法起寺は外からでも塔を見ることができます。寺の南東には、少し背の高い垣がありますが、自然な感じの塔を見ることができます。会津八一や有名写真家の愛したアングルだそうです。
最後に中宮寺跡を見学し、斑鳩の和食さとで懇親会を行いました。
タイトル
「最上川」がブームですが、私は「考古学」でいきます。
スタートはJR法隆寺駅です。今回は35名程が参加し、斑鳩町内を東西、南北に歩き回りました。
悠歩の会で・・・ posted by (C)まこと
斑鳩にて・・・ posted by (C)まこと
まずは、斑鳩東小学校の前を通る道です。これは、綺麗な東西軸線ではなく、北東に軸を持っています。これは、西に20度振れた飛鳥時代の都市計画跡に直交するものだそうです。
斑鳩都市計画の名残・・・ posted by (C)まこと
法隆寺国際高校の東には、西に20度振れたような堀があります。この辺りが斑鳩都市計画の南東端で、太子道の始まりとなる場所です。振り返り、JR大和路線の向う側、安堵町の広峰神社の西にある道が現在でも残っている太子道です。地図上でも見ることができます。
ここから法隆寺を経由して、藤ノ木古墳へ。ここで、昼食になりました。昼食後は斑鳩文化財センターへ。藤ノ木古墳の出土品(レプリカ)を見ました。
法隆寺正面 posted by (C)まこと
法隆寺周辺は、西に20度振れた道だけでなく、7度振れた道もあります。前者は飛鳥時代初期のもので、後者は法隆寺が再建された5世紀後半のものです。斑鳩町内には、この他に町南部に条里制による南北の土地区画もあります。
奈良盆地で、このような複数の土地区画・利用の痕跡が見られるのは、ここだけではないでしょうか。明日香では、ほとんどが地下に埋もれてしまい、地上にその痕跡がほとんどありません。
法起寺の塔 posted by (C)まこと
法隆寺から歩いて、法輪寺と法起寺へ。
法輪寺から法起寺へ続く道は、現在では少し北に触れていますが、かつては両寺の南端を通っており、参詣・交通用のだったそうです。
法起寺は外からでも塔を見ることができます。寺の南東には、少し背の高い垣がありますが、自然な感じの塔を見ることができます。会津八一や有名写真家の愛したアングルだそうです。
最後に中宮寺跡を見学し、斑鳩の和食さとで懇親会を行いました。
タイトル
「最上川」がブームですが、私は「考古学」でいきます。
2011-05-16 21:07
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