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ただ自分の意見を述べただけです。異論があっても仕方ない内容です。 [テレビ]

「何が起こるか分からない、だから面白い」それが日常。
 空からこけしや赤べこ、鮭の切り身が落ちてくる。このような事が本当に「起こらない」と言えるのだろうか。遭遇する確率は低いが、これらは「十分起こりえること」ではないかと思う。怪我をするかもしれないが、このようなことに合うと、常軌を逸したことによる笑いが起こるかもしれない。
 アニメ「日常」の中で見られる「笑い」の中には、「何が起こるか分からない」こそ生まれる「面白い」内容がふんだんに盛り込まれている。ただの「あるある」で語ると、「そうだねー」で終わる内容でも、大げさに大胆に描くと「日常」のような独特のユーモアになるのかもしれない。  
 
「日々私たちが過ごしている日常は、実は奇跡(軌跡)の連続なのかもしれない。」
 多くの人がいう日常は、これまで行ってきたことの蓄積であって、これから起ころうとしていることややってみようとすることは含まれていない。過去の「軌跡」があって、現在の日常が成り立っている。その時限りという場面はいらない。この先も継続した関係や存在が日常の中では大切なのではないだろうか。


 今日放送されたアニメ「日常」のこれまでのセリフを見て起こったことを述べてみました。もちろん、これら以外にも注目したいセリフはあります。それらも含めて提示しようと思うと、1話から26話までを見直さなければならないので、今回は直近のものにしました。

 アニメのメッセージ性云々というと、様々な解釈ができて、見る人によって様々です。また、その人たちが経験してきたようなことも解釈や作品分析に影響を与えるので、製作者サイドの意図しないようなものが出てくるかもしれません。

 1週間くらい前にある大学教授がアニメに関する記事を書き、ちょっと話題になりました。その記事に見る論考は、初見では「なんだこれ。何を言っているんだか分からない」「自分の好きな作品を酷評しやがって」という思いを持つものでした。私も最初見たときは、何を述べているのかよく分かりませんでした。しかし、少し時間を開けてから読むと、「なるほどな」という部分もありました。
 けれど、複数のアニメ作品を比較するような場合は、その作品の持つ内容や演出によりメッセージを同時に抽出しなければなりません。先の記事では、片方の作品に関しての分析が不十分で、私にとっては少し論拠に乏しいものがありました。

 「たかがアニメ」と思っていても、中には深いメッセージや芸術的な演出をするものもあります。実写では映しだすことのできない、微妙な表情をアニメは可能にしてくれています。そこに感情を込めることのできる声優の仕事があって、よい作品ができていきます。
 このような点から見ると、京都アニメーションで制作された最近の作品(「けいおん!」「けいおん!!」「日常」)は良い作品だなと思うようになりました。もちろん、これら以外のアニメにも素晴らしいものはあります。けれど、京都アニメーションは私にとって好ましく、馴染みやすい作画・演出をしてくれるのでちょっと贔屓にしています。
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