文化財も地理も現地現物 現地で注目する点も似ている [写真ブログ 奈良]
堀先生他と大和三山・藤原宮踏査に行ってきました。
朝、大和西大寺駅に集合し、車で移動。約1時間ほどで最初の目的地、耳成山に着きました。
耳成山に南、近鉄大阪線の踏切近くの駐車場に車を入れ、登山開始です。
耳成山口神社 posted by (C)もんせ
登り始めて10分程で耳成山口神社に辿り着きました。
この神社は畝傍山の畝火山口神社、香久山の天香久山神社と異なり、「山の中」に社殿があります。
堀先生が以前から公にされている説、「神社は自然(神)と人間世界の境界」から考えると、耳成山は畝傍山・香久山と比べ、木々の中へ人が入っていけれる距離が長い位置関係ということになります。「耳」だけに、より人間らしいということなのでしょうか。
耳成山にクチナシ posted by (C)もんせ
耳成山口神社から5分ほどで耳成山の山頂です。
山頂は高い木々に囲まれ、期待していた山頂から藤原宮を望むことはできませんでした。けれど、「みみなしやまでクチナシ」を見ることができました。ちなみに、すぐ近くの米川は「目無川」という別名があるとか・・・(真意不明)。まるで「三猿」のようです。
じっくり見学をしていると、昼近くになってしまったので、かしはら万葉ホール5階のレストランで食事をしました。
私は日替わりランチで、「茄子の肉はさみ揚げ」に健康御飯、具沢山味噌汁、小鉢が付きました。はさみ揚げは茄子1個を使ったものでした。期待以上の味で、大満足でした。
午後は藤原宮を見学しました。
橿原市藤原京資料室で藤原京概説や模型等をじっくり見学しました。
藤原宮西面中門(佐伯門)より西 posted by (C)もんせ
その後、踏査の最大目的でもある「藤原宮の各門から大和三山がどのように見えるのか」を試してきました。
佐伯門(西面中門)からは上の写真のような風景でした。藤原京の時代は、門を通して宮の内から見ていたので、もう少し視界が狭まっていたのではないかと思います。畝傍山は、現在ですと、視線を少し南に向けると見えますが、真西ではありませんでした。
藤原宮中枢部に入り、大極殿からどのような風景が広がっていたのか、現在の様子からシミュレーションをしました。
藤原宮北西キバナコスモス畑 posted by (C)もんせ
藤原宮中枢部の北西の交差点に今見ごろのキバナコスモス畑が広がっていました。
藤原宮中枢部を見学すると、タイムリミットが近づいてきたのと天候に不安が見えたので、奈良文化財研究所都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)の展示資料室を見にいきました。
2007年に発見された地鎮具を見たかったのですが、残念ながら収蔵庫にあるとのことでした。
展示パネルを見ていると、「藤原京の位置について研究したのは江戸時代の賀茂真淵から」というのがあり、「遠州人として藤原京により一層関わりたい」という思いが強くなりました。賀茂真淵は遠州(浜松市)出身です。
薄明光線(天使の階段、光芒) posted by (C)もんせ
帰りの道中、写真のような大変美しい光芒を目にしました。
今回は時間と天候の関係で、目的の3分の1程しか達成できなかったので、また次回も行くことになりそうです。
朝、大和西大寺駅に集合し、車で移動。約1時間ほどで最初の目的地、耳成山に着きました。
耳成山に南、近鉄大阪線の踏切近くの駐車場に車を入れ、登山開始です。
耳成山口神社 posted by (C)もんせ
登り始めて10分程で耳成山口神社に辿り着きました。
この神社は畝傍山の畝火山口神社、香久山の天香久山神社と異なり、「山の中」に社殿があります。
堀先生が以前から公にされている説、「神社は自然(神)と人間世界の境界」から考えると、耳成山は畝傍山・香久山と比べ、木々の中へ人が入っていけれる距離が長い位置関係ということになります。「耳」だけに、より人間らしいということなのでしょうか。
耳成山にクチナシ posted by (C)もんせ
耳成山口神社から5分ほどで耳成山の山頂です。
山頂は高い木々に囲まれ、期待していた山頂から藤原宮を望むことはできませんでした。けれど、「みみなしやまでクチナシ」を見ることができました。ちなみに、すぐ近くの米川は「目無川」という別名があるとか・・・(真意不明)。まるで「三猿」のようです。
じっくり見学をしていると、昼近くになってしまったので、かしはら万葉ホール5階のレストランで食事をしました。
私は日替わりランチで、「茄子の肉はさみ揚げ」に健康御飯、具沢山味噌汁、小鉢が付きました。はさみ揚げは茄子1個を使ったものでした。期待以上の味で、大満足でした。
午後は藤原宮を見学しました。
橿原市藤原京資料室で藤原京概説や模型等をじっくり見学しました。
藤原宮西面中門(佐伯門)より西 posted by (C)もんせ
その後、踏査の最大目的でもある「藤原宮の各門から大和三山がどのように見えるのか」を試してきました。
佐伯門(西面中門)からは上の写真のような風景でした。藤原京の時代は、門を通して宮の内から見ていたので、もう少し視界が狭まっていたのではないかと思います。畝傍山は、現在ですと、視線を少し南に向けると見えますが、真西ではありませんでした。
藤原宮中枢部に入り、大極殿からどのような風景が広がっていたのか、現在の様子からシミュレーションをしました。
藤原宮北西キバナコスモス畑 posted by (C)もんせ
藤原宮中枢部の北西の交差点に今見ごろのキバナコスモス畑が広がっていました。
藤原宮中枢部を見学すると、タイムリミットが近づいてきたのと天候に不安が見えたので、奈良文化財研究所都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)の展示資料室を見にいきました。
2007年に発見された地鎮具を見たかったのですが、残念ながら収蔵庫にあるとのことでした。
展示パネルを見ていると、「藤原京の位置について研究したのは江戸時代の賀茂真淵から」というのがあり、「遠州人として藤原京により一層関わりたい」という思いが強くなりました。賀茂真淵は遠州(浜松市)出身です。
薄明光線(天使の階段、光芒) posted by (C)もんせ
帰りの道中、写真のような大変美しい光芒を目にしました。
今回は時間と天候の関係で、目的の3分の1程しか達成できなかったので、また次回も行くことになりそうです。
2010-08-06 21:21
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